
みなさんどーもponpokoです。
親がしていたスポーツを我が子がしている姿を見るのは、親として凄く嬉しいですよね。しかし、そのスポーツに対し、子供よりも親の気持ちが強くなっていませんか?
- 上手くなってほしい
- 活躍している姿をもっとみたい
こんな風に思っているのではないでしょうか。
実は私もそうでした。
上手くなってほしい、活躍してほしいという気持ちが強く、長男に対して褒めて褒めて自主練をするようにコントロールしてしまっていたのです。
結果、褒められたいから「練習したよ」と嘘をつくようになってしまいました。
親に褒められたい子供の気持ち
我が家の長男は、ミニバスをやっています。私自身も、中学生からバスケをしていた経験から、長男が同じスポーツをしている姿を見るのが何よりの楽しみでした。
練習も試合も、率先して応援しにいき、子供以上に熱くなっている自分がいたのです。
そして、上手くなってほしい気持ちが強く、長男に自宅での自主練を提案してみました。意外にも「やる」と言ってくれたのが親として嬉しく、練習ノートまで作成し自主練を初めたのです。
私は、毎日練習している長男に、
「今日も練習して偉いじゃん」そう褒めまくり、やる気を出そうとしていました。
それから数ヶ月経ったころ、自主練をしていないのに、「練習したよ」と嘘をつくようになりました。
「やってるって言ってたけど、練習してないじゃん。なんで、嘘ついた?」
すると、我慢していたように泣き始めながら長男がこのように言ったのです。
「だって、えらいって言われたいから」
ここで私は気づきました。長男は、親に褒められたいからやっていたことに。
褒めすぎることで子供の意思をコントロールしてしまっていた
長男は、「バスケは好きだよ。シュート入ると楽しいし」と言っていました。
そのため、練習も休むことなく行っていたのですが、自主練をしたいと思うほどのめり込んでいるわけではなかったのです。
上手くなりたい=自発的に練習するのではなく、親に褒められたい=練習をやる。になっていたのでしょう。
その結果、自主練をしていないのにやったよて嘘をつくようになってしまったのだと思います。
子供の意志を親がコントロールしてしまったのだと気づいた瞬間でした。
褒めて嬉しいのは誰なのか?
私は、長男が自主練をしていることを喜んでいました。続けてほしい、そうすればきっと上手くなる。
しかし、長男は自発的な練習ではなく、褒められたいからの練習になっていました。
この事から、本当に嬉しいのは親であり、親が望んでいることを子供がしてくれたから褒めているのだと気づきました。
これは親のエゴだったのです。
親のエゴを子供に押し付けてはいけない
褒めることは大切であり、子供の成長や自信につながります。しかし、親が望んでいることをしてくれたから褒めるのは違うと思うのです。
それは、親のエゴであって子供の気持ちではないからだと思います。
それから、長男と話し合いました。
「練習すればしただけ上手になるのは本当だ。でも、自分が上手くなりたいと思ったら練習しな。パパが喜ぶからじゃなくて、自分がどうしたいかが大切なんだよ」と伝えました。
それからは、自主練もやらなくなりましたが、友達と楽しそうにゲームしたりYouTubeを見たり、自分のやりたいことをやってますよ。
でも、バスケの練習だけは休まず自分の意思で行っています。
追記
最近、ミニバスの試合に出場する機会が増え、レギュラーメンバーに昇格したこともあってか、また自主練する姿が見られたのです。
しかも、自主練メニューも自分で決めてやっていました。
自発的に行ったのは初めてであり、きっと自分の中で何かのきっかけがあったのでしょう。
そして、私自身も「自主練してえらいじゃん」ではなく、「ドリブルが上手くなったな。きっと自主練頑張ってるからだよ」と認めるようにしてみました。
また時間があるときは、私も一緒になって長男と同じメニューをやったりもしています。
結果ではなく、それまでのプロセスが大事とよく言いますが、本当にそうかもしれませんね。
自分の意志で始めた自主練。どれだけ頑張れるのか、温かく見守りいこうと思います。
まとめ
褒めることは、時には必要です。しかし、
子供にこうなってほしいから褒めるのは親のエゴなのかもしれません。
子供が自発的に行い自分の力で乗り越えた時に褒める。そうした方が、自己肯定感が高まるのだと思いました。
今回の失敗を通して学んだことでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます
ponpokoぽんぽん